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THE☆MIYADIMA 結成秘話

※この物語は、ほぼ現実に基づいておりますが、稀に妄想や創作箇所がありますことをご承知置きください笑(2010.10時点)

 2004年さいたま市に一人の男がいた。その名は<MIYAJIMA>。この男、お祭りが滅法好きで、人が集まる所には必ず顔を出す性質であった。ある日息子を通わせる幼稚園でお父さんが参加する“お父さんと遊ぶ日”にふと思いついた…「ココでライブがやりたい…」。そんな突飛な発想に付いてくるOYAJIも少ないと思われたが、比較的容易にメンバーが集まった。お祭り好きは結構居るらしい…。


参集した祭り好きの中にこの男がいた。その名は<PaPa>。この男は滅法人好きで、妻の勤める幼稚園の催し毎に顔をだし、温和な笑顔を振りまいていた。MIYAJIMAの声掛けに応え、自慢のリッケンバッカーモデルのベースを手に、見事な演奏を披露した。ちなみにこの男、笑顔を振りまき人当たりは良さそうであるが、長州藩出身者らしくとことん頑固者である。

こうして通称“音楽会”は始まり、以降毎年のイベントとして定着した。

数年後ある男が幼稚園に顔を出した。その名は<Sgach>。この男、自分が大好きで常時如何にして自分を表現できるかを考えて行動している性質であった。あるときMIYAJIMAと戯れているとき、音楽会のことを聞き、瞬時に閃いた。「乗っ取ってやる…」。参加初年度は大人しくしていたものの、2年目は自己顕示欲満載のレスポサンバーストとマーシャルを幼稚園に持ち込み、幼稚園の迷惑顧みず、寝ずに練習した『さんぽ』のイントロを爆音で披露し、悦に入っていた。ちなみにこの男、自己顕示欲が強い割には滅法気が小さく、本番前はいつもブルー…。

またある男が、周囲を睥睨しながら入ってきた。黒いTシャツ、タイトデニム。白いワイシャツを引っ掛け、片手はポケット、片手でタバコをふかすその男の名は<Starkey>。この男、周囲と溶け込むことは苦手としながらも内に秘めたる闘志は並々ならぬものがあり、あるとき妻から音楽会のこと聞き、「ふざけたヤロー共め、一泡吹かせてやる」と幼稚園に出向いた。そこには楽器は持っているが課題曲を何もやってないMIYAJIMA、笑顔を振りまきながら調整にいそしむPAPA(但し音が小さい)、相変わらずトトロで悦にはいるSgach(やっぱり音がでかい)がいた。周囲からの声掛けに「ドラムやってたけど…」。その応えにみな反応した。「待ってたぞ…、てかその雰囲気そのシャツ、尾崎豊?おざき?のざき?」…。ちなみにこの男、全身に纏うオーラは人を寄せ付けないが、並々ならぬ優しい気の持ち主で、気配り目配りのし過ぎで打ち合わせ中に眠ってしまうことが常である。。

またまたそこに一人の男が飄々と入ってきた。その名は<Leo>。この男、ごく自然にそこに居て、ごく自然に振舞い、ごく自然に去ってゆく存在で、性格とは正反対のとても不自然なTシャツを着、とても不自然なくらい西武ライオンズにはまり込んでいた。参加当日も当たり前のようにZO-3を出し、当たり前のように課題曲を弾き、当たり前のように去っていった…。しかし、彼は後悔していた…。「ZO-3じゃなくDOVEにすればよかった…」。ちなみにこの男、とんでもなく社会性に富んだ男かと思いきや、どうしようもなくマイペースなだけであった。

 こうして無事(?)音楽会終了したが、個性的なメンバーが集まったことからPaPaは思った。
 「このまま終わるのはもったいない…」。
同じくStarkeyのドラムでディレイ満載のトトロを弾いたSgachも思った。
  「このメンバーでバンドやりたい…」
同じくこの音楽会用にTELEをインストールしたLeoもマイペースに思った。
 「もっとTELE弾きたい…」

バンドを組むことは自然な流れであった。

 バンドでもっとも重要なポジションを占めるヴォーカルを誰にするか、これはみな一人の男しか思い浮かばなかった。その男の名は<Motchy>。登場は前後するが、Sgachより前にこのイベントに参加していた。この男、とにかく目標に向かって猛進する性質、全速力で太平洋を回遊する本マグロのごとく、イベントに向かって一直線、時には自分の体力の限界を超えて”イケイケ”なのであった。音楽会では周囲の演奏が何も聞こえないくらい音速の小太鼓をたたきまくり、イベント打ち上げでは寝入っていた3次会で突如起き出し、深夜2時のスナックでコブクロを歌い上げる、MIYAJIMAに劣らぬお祭り男であった。ちなみにこの男、疾風の如く行動を起こすが実務はからっきしで、やってる側から通り過ぎて行き、彼の指示はいつもドップラー効果でみなに聞こえているのが常である。

 

 こうして集まった6名であるが、活動を始める前のある日、MIYAJIMAの転勤が決まり、バンド参加が困難となった。彼のパートは決まっていなかったため、バンドに与える影響は少なかった(というか練習しないのでプラスに影響した)が、その存在が与える影響が大きかったため、バンドメンバーはショックを受けた。仕方なくバンド名をThe☆MIYADIMAとすることで彼がバンドメンバーである証明とした。

そうこうしている間に活動開始となり、音楽の趣味がばらばらな5名ながらも共通語として存在するTHE BEATLESのコピーをさいたま市某所のスタジオROXYにて開始した。

課題曲を増やしていく間に、メンバーそれぞれが思った。「ピアノが足りない…」。それをThe☆MIYADIMAはとても安直に解決した。前出PAPAの賢妻は幼稚園の先生であった…。幼稚園の先生…。当たり前にピアノが弾ける…。こうして、子供を通わせる幼稚園の先生をメンバーに加えてしまうという、間違った公平が蔓延る現代では考えられない暴挙に快諾してしまった彼女の名は<Campbell>

ちなみに幼稚園では結構な地位を占めており、さいたま市の極一部の地域では、今流行りの坂本竜馬より知名度がある、一種伝説的な存在である。

こうして船出したThe☆MIYADIMAは、ほぼ毎月のスタジオ演奏を楽しんでいた。

そこにまたある男の存在が浮き彫りになるのである。
その男、東京生まれの博多育ち、Sgach所属企業の先輩。その名をMiyamoto"BADDY"Kohei

明太ロックを掲げ、その嵐に周囲のバンドを次々と巻き込んでいた。
BADDYは常に思っている。

“いつも心にROCK’N’ROLLを!”

彼の目の前に、ライブをやらない=ROCK’N’ROLLじゃない後輩のバンドがあった…。The☆MIYADIMA…。BADDYのフェイバリットであるTHE BEATLESのコピーバンド…。ちなみにこの男、祇園山笠の血が流れており、山の下に車輪をつければスムーズに櫛田入りできるのに、目の前にあるから担いで運んでしまえ的に合理的思考を寄せ付けないのであった。

いつの間にかThe☆MIYADIMAはBADDYにライブをブッキングされ、いつの間にかライブステージという荒波に放り込まれてしまったのであった…。

こうして結成3年、3回のライブを重ね(2010.10月時点)、某スタジオROXYを中心とした愉快なバンド仲間と交流を深め、自身の演奏技術やライブパフォーマンスに磨きをかけるため、活動を継続しているのであった。

最後にメンバーのパートとフェイバリットを列記する。


Vo.Motchy<Boowy>
Gt.Sgach<Led Zeppelin>
Gt.LEO<Alice>
Ba.PaPa<The Beatles>
Dr.Starkey<AC/DC>
Key.Campbell<SMAP>

 

2010.10 THE☆MIYADIMA

Yoshihiko"Sgash"Sugasawa

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